Z400GP

Z400GPが発売された年について

Z400GPは空冷ミドルカテゴリーにおいて空前絶後のバトルが繰り広げられた時代に登場した名車の1つであるZ400FXの後継機種である。
ホンダのCBX400Fがすさまじいほどの存在感を示しており、Z400FXだけでは対抗出来ないと考えたカワサキが新機能をひたすら盛り込み性能至上主義の願いをひたすら叶えたZ400GPを1982年に誕生させた。

1982年は多くのライダーが熱中しバイク熱も高まった時代のさなかだったが、具体的に何があった時代だったのかを振り返っていこう。
1982年は東北新幹線が開業し上越新幹線も大宮から新潟間で開業した年であったため、一気に日本国内で移動できる場所が広がった年でもある。
また、日航機羽田沖墜落事故やホテルニュージャパン火災が発生した年でもあり、衝撃的なニュースであったためにこちらの方が思い出しやすい人も多いのだろう。

名車と呼ばれる理由

Z400GPはZ400FXの後継機種であり、GPz400の前身でもある。
誕生したのが1982年でしたが後継モデルのGPz400の発売によって生産が終了したモデルでもあるため、生産された年はわずか1982年から1983年と2年間だけなのも大きな特徴となっている。
この時代はとにかくライバルよりも上のバイクを開発することにそれぞれのメーカーが切磋琢磨をしており、きら星に輝くバイクが誕生してはすぐに消えていくといった姿が恒常化していたのだ。

人によってはGPz400のつなぎとしか見做されないZ400GPだがホンダのCBX400Fに対抗すべく作られたZ400GPは決して劣っているわけではなく、むしろユニ・トラックサスペンションの初採用車やエンジンの高圧縮化などが施されたハイスペックなミドルクラスモデルに仕上がっていたのだ。
事実として鈴鹿4時間耐久ロードレースで優勝を果たすなどの実績があり、性能の高さは折り紙付きだった。
その姿が目に焼き付いている方にとってはまさに至極の1台と評されるのも納得である。

最新技術がこれでもかと盛り込まれた

Z400GPは当時として画期的な最新技術がこれでもかと盛り込まれた1台であり、乗り換えた人達にとっては大きな衝撃を与えることになる1台になっていた。
中でも大きかったのがリンク式モノショックとなっている『ユニ・トラックサスペンション』とフロントサスペンションに採用されていた『イコライザーチューブ』だろう。
この2つがコーナーリングの性能をより向上させ乗っている人達のバイクの楽しさをより引き立てることに成功したのだ。

GPzシリーズからGPZ-Rシリーズに続く

Z400GPの技術やシステムは後継車となるGPzシリーズに続くことになる。
Z-GPシリーズはいわゆる空冷だったのに対し、GPZ-Rシリーズは水冷でありZ400GPの後継車であったGPz400もまた過渡期の中間に登場したバイクだったのだ。
1980年代はとにかくモデルチェンジが加速した年であり、日本のバイクの技術が飛躍的に向上した時期でもあった。
こういった時代の移り変わりとなる過渡期の名車は埋もれることなく輝き続けているので、気になる人は発掘して愛車にしてもらいたい。