RZ250R

RZ250Rが発売された年について

RZ250Rはヤマハ発動機が製造していたオートバイのRZシリーズの1つであり、登場したのは1983年である。
この時期は空前絶後のバイクブームが発生していた年代でもありロードレース人気も最高潮だったのだ。
その結果、スゴイ勢いで新たなバイクが誕生してはモデルチェンジやマイナーチェンジで消えていくを繰り返す魔境への変化していくことになり、数の多くの名車が誕生することになる。

このRZ250Rが誕生した1983年について、当時の出来事から振り返りやすくしていこう。
1983年はNHK連続テレビ小説『おしん』が大ヒットした年で、なんと最高視聴率62.9%ととんでもない数値をたたき出している。
また、東京ディズニーランドが開園した年でもあり、『東京ディズニーランド』と『おしん』という2つのワードだけでも時代を思い出しやすいだろう。
他には、ファミコンが発売された年でもありプロゴルファーの青木功が日本男子初の米ツアー優勝を果たした年でもある。

RZ250Rはどうして名車と呼ばれているのか

1980年代の名車は数多くあり、その一角としてヤマハのRZ250Rも取り上げられている。
このRZ250Rが名車と呼ばれる最大の理由が、2ストロードスポーツの歴史を塗り替えたRZ250の血を色濃く受け継いでいることが大きいだろう。
70年代後半に実は2ストロークロードスポーツは一度消滅しかけており、このRZシリーズが誕生していなかったら歴史の中に埋もれていったと表現する人は少なくない。

このRZシリーズがあったから、80年代から90年代にかけて2ストロークロードスポーツが再び蘇り、脚光を浴びることになったのだ。
とにかく乗っていて楽しい軌道を描くことでも有名なRZ250RはRZ250と比較しても高速コーナーでの不安定な挙動が押さえ込まれており、足回りもかなり大きな進化を見せている。
出力の強化と足回りなどの強化により乗りやすくなった2代目RZシリーズはフィーリングからもたくさんの人を虜にしたのだった。

2ストロードスポーツは消えそうだった理由

2ストロードスポーツが消えそうになってしまった最大の理由は1970年代に本格的に始まった自動車排出ガス規制にある。
今でもこの排ガス規制によって生産がストップすることになる自動車やバイクはたくさんあるが、1970年代から1980年代にかけてもそういった事情から消えてしまった、または消えそうになったバイクが多いのだ。
要するに、2ストロークスポーツモデルのエンジンは当時の排ガス規制を超えるのが厳しいとみられていたのだった。

本来なら最後となるはずだったRZ250の後継車

RZ250は排ガス規制によって消えゆく2ストロークスポーツモデルを救うという立ち位置ではなく、実は最後のモデルにするという意気込みで誕生している。
RZの『Z』は水冷を意味しているが、最後という意味もこもっていたのだ。
その後1998年にRZ50として登場することになるが2007年の自動車排出ガス規制により生産が中止されることになった。
本来ならば1980年になる前に消えるはずだった命が、紡がれて2000年代まで続いたのはある意味で奇跡の歩みとなっている。