TX500
TX500が発売された年について
TX500はホンダのCB750やカワサキのZ1を筆頭に大排気量の日本車が登場して一気に日本国内を席巻した時代に登場した名車の1つである。
これだけで年代をあてられ人も多いだろうが、それらよりも若干遅く登場したのは1973年だ。
このときはすでにZ1を中心とした並列4気筒の大型モデルが席巻している時代であり、そこになんとか滑り込む形で登場したのがヤマハのTX500なのだ。
この1973年に何があったのか、簡単にだが振り返っていこう。
トライアンフやハーレーに対抗すべく奮闘し始める日本バイク業界の姿がよく見える1973年は第1次オイルショックがあった年で、円変動相場制に移行した年でもある。
当時を生きた人ならば第1次オイルショックだけでいつの時代か容易に想像できるだろうが、他にはパブロピカソやブルースリーといった世界的な超有名人が亡くなった年でもあるので、かなりわかりやすいだろう。
名車と呼ばれる理由
TX500は当時のライバルが圧倒的すぎたために歴史に埋もれたと評する人も多いが、当時の先進の技術であるDOHC8バルブヘッドやH型アルミリムなどを採用し、ケイヒンの負圧式キャブなどとにかく走りへのこだわりが随所に見られるその姿から『4ストロークのマッハ』とも呼ばれていたのだ。
もっと簡単に解説してしまうと、これでもかと職人的なこだわりと技術が盛り込まれたTX500は他メーカーのバイクと比較してもスペック的には高水準にまとまっており、性能へのこだわりがある人にとっては時代の寵児という位置づけにもされていたのだ。
ライバルが強かった
しかし、前述したようにライバルが色々と強力すぎる時代であり、同じく名車として語り継がれることになるカワサキのW3などに押される形になり比較的マイナーな知る人ぞ知る名車といった位置に落ち着いているのだ。
実際に現代においてその姿を見ることはとっても稀であり、見かけたら超ラッキーと思えてしまうような存在になってしまっている。
GXシリーズへ続く
技術革新と言えるレベルで飛んでもな速度で技術的な革新が行われていたのが1960年代から1980年代の街区業界だが、ヤマハもその流れに乗っかることになりTXシリーズはGXシリーズとして進化することになった。
GXシリーズもいくつかのモデルがあるがGX500が完全にTX500の発展系の位置づけにあり、新しい姿を見せることになった。
しかし、このGX500はなんと他のシリーズのようにキャストホイールを採用したモデルが誕生することなく眠りにつくことになってしまったので、一代限りで生産が終了してしまうモデルなのだ。
このように続くと思われた後続もとっくに生産終了となっているのがより希少性を際立たせている。