XJ650T

XJ650Tが発売された年について

XJ650ターボは1982年にヤマハから発売されたキャブレター方式のターボモデルで、この時代はホンダがCX500ターボを発表しスズキがXN85を発表されたのでまさにターボモデルの戦国時代となっていた。
東京モーターショーが大いに盛り上がっていた当時はとにかくターボモデルが色々と出品され、多くのバイク好きがターボについての話がつきなかったのだ。
ちなみに、このXJ650ターボが発表されたのは1981年秋に開催された第24回東京モーターショーだったのだが、このときXJ650ターボ以外にXJ1100ターボも発表されている。

このバイクが発売された1982年は日航機羽田沖墜落事故やホテルニュージャパン火災といった衝撃的な事故があった年でもあり、東北新幹線や上越新幹線が開業して日本の各地により移動しやすくなった年でもある。
他にはIBM産業スパイ事件という衝撃的な事件があった年でもあるため、当時を生きてきた人達はこれらの言葉からイメージがしやすくなることだろう。

名車と呼ばれた理由

XJ650ターボはベースマシンからターボの追加で大幅にパワーアップした名車だ。
元々のXJ650も空冷の並列4気筒で71馬力/9400rpmとかなり高性能なバイクだったのですが、これが90馬力/9000rpmと馬力がおもいっきりちがうことがわかる。
空冷のままターボを取り付けて650ccが90馬力に到達するというのが、はっきり言ってショッキングすぎる数字でありこれだけでも多くの方の興味を引くことになった。

ターボチャージャーを搭載し7.5kgf・mのトルクを獲得することになったXJ650ターボは燃料供給方式にキャブレター式を採用していたことも、ライバルであるCX500ターボやXN85の違いを生み出す要因となり、より際立っていたのだろう。
ターボチャージャーの特性をより発揮させるためにもヤマハの様々な技術が盛り込まれており、当時のヤマハの技師達の血のにじむ努力が見て取ることが出来るのだ。

消えてしまったXJ1100ターボ

XJ1100ターボは輸出用に発売されていたXS1100LGミッドナイトスペシャルといった位置づけであり、当時最大級だったあの空冷4気筒エンジンに後付けでさらにターボを取り付けるというなかなかにぶっ飛んだ発想だったのは今でも覚えている。
これが世に送り出されたら、確実に直線番長として一気に有名になったV-MAXの先駆者といった位置づけになれただろう。

切磋琢磨が際立っていた当時を表すバイク

1960年代から1980年代は多くの名車が産まれた時代でもあるが、次々とマイナーチェンジモデルやモデルチェンジが行われていた時代であったために、1年とか2年しか生産されなかったバイクも数多く存在する。
それでも、後継車がその技術を受け継ぎ無駄にすることは一切ないことからも日本のバイク技術が大きく向上した年代でもあったのだ。
ヤマハのXJ650ターボもエンジンレスポンスの確保のために盛り込まれた技術の素晴らしさや省エネルギー時代に対応している設計思想からも見えてくるものは多いのだ。